種子島西之表市移住支援情報

地方公務員からJAXAへ

プロフィール「鏑木博さん」

地方公務員からJAXAへ

【お名前】鏑木博 (Kaburagi Hiroshi)
【年齢】50歳
【出身】種子島 中種子町
【所属】JAXA 宇宙輸送技術部門 
    鹿児島宇宙センター 
    管理課

【人生について】

1. 種子島を出た年齢ときっかけや動機を教えてください。

種子島中種子町野間で生まれ育ち、中種子町立野間中学校(現在の中種子中学校)卒業後15歳で、鹿児島市平川町にある鹿児島県立錦江湾高校理数科に進学しました。


きっかけ動機は、田舎の環境から出て、都市部の新しい環境で生活してみたいという気持ちから鹿児島市の高校へ進学することを思いつき、①進学校であること②親の経済的負担を考慮すること(寮があること)③得意だった教科(理科、社会)が学べることなど考えた結果、鹿児島県立錦江湾高校理数科に入りたいと思いました。


この時代、今のようにキャリア教育が充実していたわけではなく、「よい学校、大学へいけば、よい仕事が見つかり、定年まで働ける」という世相でした。そのため、将来自分が何をしたいのかもわからず、ただ比較的偏差値の高い高校へ入るため、勉強をがんばっていたように思います。

これは、私のみではなく、親や先生、周りの方など日本の世の中の仕組みや世相がそうだったと個人的には思います。



2. Uターンした年齢と、考え始めたときの心情や、決め手になった出来事があれば教えてください。

Uターンした年齢は、24歳です。

高校卒業後に国立宮崎大学工学部物質工学科へ入学して4年生まで、アルバイトや部活、応援団など学科活動を一生懸命(笑)やっておりました。


大学4年生のとき、いざ働くための就職活動をする際に、大手企業数社に応募しましたが、不採用となり、就職先がなかなか決まらず悩んでおりました。

このとき、日本のバブル経済が崩壊し、俗にいう日本経済の「失われた20年」の不景気の始まりぐらいのときで、いまも社会問題化している就職氷河期世代、真っ只中で、新卒者の就職がかなり厳しく難しい時代でした。

見かねた研究室の教授から「鏑木君は就職が決まらなそうだから大学院に残ったら?」との誘いを受け、大学院まで残りました。同じく大学院卒業時にも就職は決まらず、「俺って必要とされていない?」とも思う時期もありました。

そのとき、国家公務員だった父と話しているうち、種子島の行政や課題などを聞いたのがきっかけで、種子島の行政機関、公務員になって種子島の島民のためになにか働けないか?と思いました。


大学院卒業後、鹿児島市の公務員専門学校で学び、最後の最後で、内定をいただいたのが種子島西之表市役所でした。

(最後に拾ってもらった感覚、いまでも感謝しています!!)



3. 種子島に住むようになってライフスタイルは変わりましたか?

24歳でのUターンしたときの第1印象は「やっぱり田舎だな~~😢」でした。

それまで、車で旅行、遠出したり、繁華街に飲みにいったり、メジャーミュージシャンのライブを観に行ったり、買い物巡りなどしていましたが、それが難しくなった印象を受けました。


ただ、数か月もたつと都市部にはない①素晴らしい自然が残されていること②人と人の心理的距離が近く和気あいあいと生活していること③昔の同級生や新たな人との出会い、つながりを強く感じたことなど残っているな~と再認識しました。

(市役所に入庁した記念でサーフィンを始めたこと、市の連合青年団に入り、種子島島内の同じ若者同士と知り合いになれたこと、都会から帰省してくる同級生とよく飲んでいたことなどから・・・)



【お仕事について】

4. もともと宇宙好きだったのですか?

実は、もともと宇宙が好きという意識はありませんでした。

ただ、父が1970年代に種子島宇宙センターから打ち上げていたN-1ロケットの打ち上げを幼少期からよく見に連れて行ってくれていて、また、当時オープン間もない宇宙開発展示館(1979年 (昭和54年)開館、現在の宇宙科学技術館)に子供向け映画を観に行ったり、喫茶店でカレーを食べたり、展示館内のロケット設計ゲームに夢中になったり、なにかドキドキ、ワクワクした気持ちが無意識にあったのかな~と思っています。


(種子島では、ロケットの打上げが日常的に行われており、島民のエンターテイメント的?なイベントとして浸透していることや宇宙科学技術館など広報展示施設などが充実しており、なにか「宇宙」「ロケット」「種子島宇宙センター」をいつもどこかで意識していたのでは?と思っております。)


5. JAXAで働こうと思った理由は何ですか?

私が西之表市役所に入庁してから22年目(48歳)のとき、JAXAはそれまで打ち上げていたH-ⅡAロケットの後継機として、H3ロケットを開発中で、初号機の打上げがありました。

当時H3ロケット開発の責任者であった岡田匡史さん(現在、JAXA宇宙輸送技術部門長)が、記者会見で涙を流していたシーンに心が揺れ動きました。


そのシーンを見て私が思ったことは、「H3ロケットの打上げがうまくいかなかったら種子島の良さ、誇れるものがなくなるかも。なにか自分でもロケット打上げがうまくいくように手伝えることはないか?それにしても岡田さんってこんなに情熱や責任をもって本当に命がけで仕事をしているんだな~。

こんな方がJAXAにはいっぱいいるのか~。ロケット開発がうまくいけば、種子島が盛り上がり、日本、世界に良い影響をあたえられるかもな~。

そんな仕事をやってみたいな~。」ということでした。


これをきっかけにJAXAのホームページ内にあるキャリア採用のページを見たとき、現在のポジション「鹿児島宇宙センター管理課での総務系業務」があり、「あ、これだったら自分にもできるかもしれない」と思い、だめもとで応募しました。

採用過程の中で、JAXAの方の熱意や優しさなどを感じ、「合格したら転職し、JAXAに入り、種子島、日本、世界のために働く」と覚悟を決めました。



6. 実際に現場に入って感じた「宇宙開発のリアル」は?

宇宙は、人類がまだ知りえない未知の世界が多々あり、知見を増やしていくことで、人類にとって有用な利活用ができる、人類のためになると個人的には感じています。

地球や人工衛星同士との通信などを行う通信分野、災害・防災対策分野、気象分野などに有用な地球観測や宇宙空間を利用した医薬品開発の基礎研究など、今後、さまざまな分野で宇宙での知見は、人類が生きていく中で活用されていくと思います。

その知見を得るためにJAXA技術者や大学、さまざまな企業など多くの方々が一生懸命に働いており、私自身も多くの刺激を受けているところです。

私の仕事は、事務職で、宇宙開発を進めていくための裏方的な仕事で、あまり表には出ない仕事ですが、技術を研究する方、それを支える事務をする方などトータルの体制が非常に重要で、うまく一体化したときに宇宙開発が前進していくものと思っております。



7. 同僚やチームの雰囲気はどんな印象ですか?

ひとことでいえば「ポジティブ(前向き、積極的)」な印象です。

同僚やチームメンバーに対して、いつもリスペクト(尊敬)や感謝の気持ちをもって働いているな~と思っています。

だれかが困っているときに教えたり、手助けしたりしているシーンもよく見ます。また、職位や年齢の上下に関係なく、フラットなコミュニケーションをしていて、風通しが良い組織だな~という印象です。



8. 仕事上で大変だと感じることはありますか?

私の仕事は、総務系業務で、他部署に属しない業務、いわばなんでも対応しなければならないという点があり、案件も多くなると人手が足りないかもと感じるところもあります。そんなときでも上司や同僚がフォローしてくれて、難しい仕事も楽しくできていると感じています。

本当にありがたい!!

いつも感謝しております。



9. 行政と民間企業との違いを感じるのはどんな時ですか?

一概にはいえませんが、組織によって「お金のため」だったり、「住民のため」だったり、「研究開発のため」だったり、どの色が強いかが違いと感じるところなのかもしれません。

しかし、どの組織もなにか本質的な目的は同じなのかもしれません。


JAXA(国立研究開発法人 宇宙航空研究開発機構)は、国の法律「国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構法」に基づいて設立された組織で、行政と民間企業の中間的な組織と個人的には感じています。そのため、行政的・民間企業的な考え方ややり方の両方を学んでいるなと感じています。



【種子島生活×宇宙について】

10. 種子島での生活の中で「宇宙が身近だ」と感じる瞬間は?

↑上空100Km 宇宙

① 種子島宇宙センターでの勤務、仕事や種子島宇宙センターの存在、ロケット、人工衛星打上げなど

② 西之表市の防災行政無線「西之表市防災情報システム」

(人工衛星経由の通信技術が使われています)

③ 南種子町の上中交差点の「↑上空100Km 宇宙」の道案内看板(笑)

④種子島の夜の星空(島内)

11.お気に入りの打ち上げ観覧スポットはありますか?

南種子町に町が運営する4か所の一般見学場があります。

①恵美之江展望公園(射点から約3km)

②長谷展望公園(射点から約6km)

③宇宙ヶ丘公園(射点から約7km)

④南種子町営陸上競技場(射点から約7km)

こちらは、ロケット打上げに使っている実際の打上げカウントダウン放送が流れますので、

ドキドキ、ワクワク、緊張感、ライブ感

など実際のJAXA職員と同じ気持ちが体験できるスポットかなと思います。

私の小さいときからの打上げ観覧スポットは、中種子町の東海岸にある中山海岸・漁港(射点から約14km)でした。


ちょっと遠目にはなりますが、音達の距離感(少し遅れて音・空振が来る)、晴れた日は、固体ロケットブースタ切り離しや上空を飛ぶロケットが長く見ることができ、地球が丸いことを感じることができます。

12. 宇宙に関わる仕事をしつつ島で暮らすことで、価値観に変化はありましたか?

最先端の科学技術を体感でき、種子島が改めて、日本、世界の中でも重要な島だなと感じています。JAXAに入るまでは、あまり世界レベルを感じることはありませんでしたが、H3ロケット開発や打上げなど身近に感じると、世界中の方が注目している島だな~と思っており、誇らしくも思います。


昔から大陸との交易や鉄砲伝来、そして日本のロケット打上げ・宇宙開発の最前線現場として、種子島は不思議に、いつの時代も世界で重要な場所にある島だと再認識しています。


その島で生活する、また未来の子供たちが育っていくことは、日本や世界で活躍する人材を育てる可能性を秘めている島なのかもしれません。


【今後について】

13. 今後チャレンジしたい業務や分野はありますか?

私は事務職ですが、事務職のスキルアップを進めるとともに技術職の要素も学んでいきたいと思います。また分野も宇宙分野だけでなく、航空分野も学んでいきたいと思います。
一生に一度しかないJAXAでの貴重な時間だと思い、楽しく学び、働いていきたいです。

14. JAXAを目指す人にアドバイスはありますか?

JAXAの業務や役割は、いまから大きく広がっていくと思います。

人材としては、理系文系など問わず、さまざまな分野の方の経験、協力、知見などの力が必要になると思っています。

個人的には、「人生は、一度しかなく、自分はどうありたいのか?どう生きたいのか?」が大切だと思いますので、勉強、仕事、プライベートなどいろいろな経験をしていただきたいと思います。

採用の窓口も新卒、既卒、キャリア採用など多様化しておりますので、自分のキャリアビジョンと合わせてチャレンジしていただければと思います。


15. 移住を迷っている人にメッセージをお願いします。

私も市役所勤務時代に移住定住促進担当として、移住される方のお手伝いを3年ほどさせていただきました。

移住することで「環境」が変わります。

「環境」が変わることによって今の環境と比べてメリット、デメリット、ニュートラルなどいろいろ感じるところがあると思いますが、これには個人の価値観の影響があり、「捉え方」でデメリットもメリットに感じたりすることもあります。


みなさんのキャリア(人生)、「人生は、一度しかなく、自分はどうありたいのか?どう生きたいのか?」を照らし合わせてご検討いただきたいと思います。


また、「何歳からでもいろいろなことにチャレンジできること」も忘れないでいただきたいです。


最後に私の好きな言葉【過去と他人は変わらない。変われるのは自分と未来だけ】を贈ります。



取材者及び編集者

市村望美

地域おこし協力隊 
任期:2024〜2026
ミッション:持続可能な地域づくり

Nguyen Hoang Ngoc Anh

地域おこし協力隊 
任期:2025〜2027
ミッション:移住・定住担当
島元気郷たねがしま 支援協議会

〒891-3193
西之表市西之表7612番地
西之表市役所 地域支援課内

TEL.0997-22-1111
FAX.0997-22-0295
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